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オピニオン

輪島塗伝統工芸士会 会長 坂口 彰緖 さん

輪島塗再建道半ば、本格再開に向け販売・PRに注力

漆器と言えば「輪島塗」をイメージする人も多いのではないだろうか。そんな漆器の代表ともいえる輪島塗が苦しい状況にある。元日に発生した能登半島地震の影響を大きく受け、一時は職人の7割が市外に避難した。未だにインフラの寸断が続いているところもあり、生活再建さえもままならない。輪島塗伝統工芸士会会長の坂口彰緖さんに現状と輪島塗再建への取り組みについて聞いた。

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坂口さんが手掛ける小吸物椀5客セット

520日ごろまで下水が使えず簡易トイレの日々でした。輪島市内では現在もそうした状況にある人がいます。私も重機を使ってコンクリートを割り、下水管を露わにしていなかったら、同じような生活が続いていたかもしれません」

輪島塗の伝統工芸士である坂口さんは、発災から約7カ月が経った輪島の現状をそう話す。未だ市内には緊急解体と指定されながらも放置されている建物も多く、「2007年の能登半島地震では再建の不安は感じなかったが、今回の地震は全然レベルが違う。発災直後は市全体、地域全体として厳しいと感じた」とこぼす。

「家内工業の輪島塗は、家がなくなると仕事場もなくなってしまう。高齢の職人も多く、建物の解体も進まない状況で輪島塗の再建のことを考えることができる人は多くなかった」

一時は職人の7割ほどが市外に避難をしていたが、ようやくその内の65分ほどが戻ってきて、蒔絵や沈金、呂色(ろいろ)など、主に加飾や仕上げに関わる職人を中心に3割ほどが仕事を再開している。

「輪島塗は漆を何度も塗り重ねていくが、その中で乾燥の時間を長く取る必要がある。発災時に寝かせる作業に入っていた製品が多数生き残っていたので、今はそうした製品を仕上げている」

一方で、新しい漆器の作成にはほとんど入れていない。輪島地の粉など下地にも特徴のある輪島塗だが、木地づくりから加飾までの製造工程は長く、124もの工程を分業で作り上げている。各工程の職人が高い技術を振るうことで、質の高い一つの輪島塗が出来上がるため、「どの職人が欠けても安定した輪島塗の製造が難しい」。

■07年の経験から販売・PRに注力

そうした中でも坂口さんは輪島塗の販売とPR活動にいち早く注力する。それは07年に被災した際、「半年後の生活が落ち着いた頃に販売・PR活動を始めたら、震災のことは忘れられて遅きに失した」経験があるからだ。

「私は上塗りの職人でもあるが、輪島塗の製品企画や進捗管理、販売を手掛ける塗師屋(ぬしや)でもある。今は職人さんが動けない状況。私が販売やPRに回って職人さんたちが仕事を再開できるまでの資金の工面と職人さんたちが輪島に戻ってきていざ再開する時にしっかりと仕事がある状況を作ろうと思って動いている」

職人の中には製作途中の品が全て失われてしまった人もいる。10月に都内の百貨店で行われるイベントでは、輪島塗に関わらず職人が今作れるものを出展する企画を行う。「この取り組みはいろいろ批判を受けると覚悟しているが、輪島塗は完成まで1年ほどかかるので、それまでどう食つなぐかが重要。一人でも多くの職人さんが輪島に残ってもらえるようにすれば、つながりが非常に強い輪島の職人さんたちなので、本格的な立て直しは大丈夫だと思う」と先を見る。

震災上塗部屋1.jpg

震災直後の坂口さんの仕事場の様子

華やかなイメージが強い輪島塗だが、近年、日常生活の中でもマッチするデザインの製品が増えている。「輪島塗の魅力は綺麗さと共に、温かみや長く使えることも魅力。元々は生活食器なのである程度粗雑に扱っても耐えられるように作られている。デザインもそうした輪島塗らしい日常の暮らしに溶け込むものへと回帰してきているように思う」。輪島塗の再建は道半ば。「輪島塗をお求めの際はまず輪島塗会館にアクセスしてほしい」とのこと。