インタビュー
荏原製作所 助松 裕一 氏/西脇 真也 氏
- 投稿日時
- 2025/09/29 15:26
- 更新日時
- 2025/09/29 16:14
製造現場を仮想化、デジタルで匠の技を継承
ポンプ業界国内最大手の荏原製作所は7月、ゲーミフィケーション技術を応用した製造DXプロジェクト「EBARA-D3(エバラ・ディースリー)」を立ち上げたと発表した。既に藤沢工場(神奈川県藤沢市)での試験導入も進め、ポンプ組立ライン全体を仮想空間に再現する「デジタルツイン」を軸に、生産効率と熟練工の技能継承という二重の課題に挑む。現場のすり合わせに強みを持つ日本の製造業の未来を占う試金石となるか。

【写真左】助松裕一氏、【写真右】西脇真也氏
「属人的な現場だからこそ成功したら日本の全てのモノづくりの参考になる」
荏原製作所の藤沢工場は、1965年国内初の標準ポンプの量産体制を確立して以降、冷凍機や半導体製造装置などの製造を担ってきた。同社の重要拠点として自動化を進めているが、人手に頼らざるを得ない製造工程がいまだ残る。
「顧客ごとに仕様の異なるポンプを一品一様で設計・製造しています。そのため、現場の作業を自動化できず、熟練作業者の暗黙知に依存してきた部分も多くあります」
「当社としては技術が途絶えてしまう危機感を持ちながらも、現場としては言語化しにくい部分や一生に一度しか携わらない製品もあり、後回しになっていました」
そう話すのが、状況を打開するために動き出した助松裕一さんと西脇真也さん。2022年に社長直轄組織として発足した「データストラテジーチーム(DST)」に所属する(現在はCIO直下)。自動車業界で生産技術やコックピット開発をしてきた助松さんが、動画やWEBコンテンツの制作・マネジメントに強みを持つ西脇さんを呼び寄せ、藤沢工場への製造DXプロジェクト「EBARA-D3」の実装に挑んでいる。

仮想空間上に再現された藤沢工場。EBARA-D3には主に2つの機能があり、ナレッジデータ基盤「Beyondverse」は、仮想空間上に人の知識やノウハウを反映する
「正直、標準品を大量生産する自動車業界などと比べるとデジタル技術の導入環境としては良くないです。ですが、日本の製造業で課題を抱えている現場というのは往々にして、当社と同じ状況。少量多品種生産、属人的な現場だからこそ、ここでデジタルツインが成功したら日本の全てのモノづくりの参考になるという期待もあります」(助松さん)
50年以上前に建てられた建物もあるため、当然工場全体のデジタルデータなどはなく、取り組みは建屋や設備の3D化から始めた。
「設備はCADデータがある場合もありますが、建屋は設計当時の状況とは変わっていることもあり、地道にモデリングをしていくしかありませんでした」(西脇さん)
ゲーミフィケーション技術に強みを持つ企業の協力を仰ぐことで、現在、藤沢工場の8割近くのモデリングを終え現場導入に舵を切る。海外工場の立上げに向けてEBARA-D3を活用した事例では、現地人材に藤沢工場の生産技術を仮想空間上で紹介し、実際に工場に来なくてもノウハウの共有を可能とした。他にも現場の見える化とシミュレーションによる分析で、作業動線を見直し歩行距離を短縮するなど成果も出ている。
■熟練の技もデータ化
EBARA-D3の特徴は、「人が主役」であること。つまり、工場全体を仮想空間上に再現するだけでなく、現場作業員の判断や感覚といった言語化や定量化が難しい暗黙知(ナレッジ)もデジタル上に落とし込む。
これは、東京大学の梅田靖教授が発案した「デジタル・トリプレット(D3)」に基づく。Industry4.0の柱であるデジタルツインに、日本の製造業の強みとされる現場の知恵やノウハウ、日々のカイゼン活動なども組み込もうという考え方。助松さんは「日本のモノづくりの強さの源泉は『人』。デジタル技術を用いて人でしか解決できないことに注力できる環境を作ることで、人間の力をより一層引き上げたい」と述べる。

海外工場建設にあたり、仮想空間上で打合せをする様子
同社では知識やノウハウを三段階に分類し、それぞれに応じた仕組みを整備する。第一段階は言語化可能な知識で、規格値や測定条件をマニュアル化しAIで自動化する。第二段階は言語化が難しいものの動画や3Dモデルで再現できる領域で、工具の基礎的な使い方や力加減などを教材化する。第三段階がいわゆる職人技の領域で、繰り返しのトレーニングでしか会得できない部分もあるため、「ポンプ技能道場」といった従来型の人材育成の場にも力を入れる。
「マスタークラスの技術を残すこと」
EBARA-D3の最大の目的について、西脇さんはそう述べる。そのためにも、暗黙知として一緒くたにされてきた知識やノウハウを分解し、第一、第二段階の知は迅速にデジタル化し、第三段階の知に教育や訓練の時間を割けるようにする。
■ロボットの通信規格が課題に
取り組みを具体化する中で、日本の製造現場特有の課題も見えてきた。
「一番大変なのがロボット。メーカーが独自の規格で縛ってしまっているため、通信はできてもそのデータが意味するところが分からない。結果的にデータが取得できていないのと同じ状況です。欧米ではOPC︱UAという通信規格に統合しようという動きがあって、コンソーシアムも出来上がっている。デジタルツインの領域では既に日本は遅れていますが、今後そうした部分は課題になりそうです」(助松さん)
他にも、従業員の評価制度にも検討の余地があると西脇さんは指摘する。
「データを取得し人の動きが最適化されていく中で、効率化の成果が評価に反映されなければ現場は忙しくなるだけになってしまいます。また、マスターのような技術ある人になりたいと思わなければ、デジタル技術でどんなに効率化しても後継者は現れません。現場改善や技術習得が適切に評価され、出世やキャリアに繋がるようなモチベーションを維持するシステムも一緒に用意する必要があると思います」
藤沢工場で始まったデジタル化の取り組みは、まだ試行段階にすぎない。だがその挑戦は、自社の効率化にとどまらず、他社との協業や同様の課題を持つ企業への波及も視野に入る。同社の進める「人を主役にした製造DX」が、日本の製造業全体に漂う課題の解になるか期待がかかる。

大型ポンプを製造する富津事業所のデジタルツイン化も進む。工場内の危険な箇所などを仮想空間上で学べるようにした
異色のデジタル推進チーム
助松さんと西脇さんが所属するデジタル組織「データストラテジーチーム(DST)」は、生産技術一筋の現場肌の人材や脳科学の専門家、VFXクリエイター、コピーライターなど、異色の経歴を持つ専門家が集結している。一般的な情報システム部とは一線を画し、「0から1を生み出す」ことを目的とした組織だからだ。その取り組みは、製造現場のDX化だけにとどまらず、経営側の見直しなど事業横断的な取り組みにも寄与する。
(日本物流新聞2025年9月25日号掲載)
-