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けんかっ早いけど人が好き Vol.79

オリンピックの涙

パリ・オリンピックが終わり、我が家にも日常がもどってきた。それにしても、日本選手たちの闘いぶりはすばらしく、なんどいっしょに喜び、そして涙したことだろう。目標に届かず悔し涙を流す姿には、笑顔以上に凄まじいエネルギーがこもっていると思う。彼らが背負ってきたものの大きさを、これでもかというほど感じてしまうのだ。歳をとると、涙もろくていけない。

選手はきっと、こういうものも我慢して競技に向きあっている。私には無理!

ところで、ネット社会の今は一般の人の感情や感想も容易に目にすることができるようになった。面倒なことに、自分が意図しないうちにこうしたメッセージをうっかり読んでしまうこともある。負けた選手に対して、「四年間、なにしてたんですか」って、なんだそれ。じゃあ、あんたは、なにしてたのよと選手に代わって言い返してあげたいわ。

好戦的な私は、こういうコメントを読み始めるとひとり大爆発してしまうので見ないようにしているのだけれど、先日、ふと読んでしまったものがある。それは、「負けて号泣する選手を、カメラマンが執拗に撮影していて気分が悪かった」というものだ。なるほど、これを書いた人はそういう考え方をするのか。

たしかに、泣いている人の顔を撮影するのは悪趣味かもしれない。だけど、オリンピックはちょっと違う。前述したとおり、涙にこそ彼らが過ごしてきた四年間(もしくは、もっと長い期間)の思いが詰まっているし、サポートしてくれた人たちへの感謝がこもっていると思うのだ。だからこそ、思いがあふれて涙が出る。御しきれないほどの感情のなかで、選手たちはたくさんのものを得ているはずだ。それを見て私たちも大切なことをなにかしら学んでいかなくちゃいけない。だから、その場にいるカメラマンはすべての媒体の責任を背負い、その涙をしっかりと撮って伝える義務があると思うのである。

かく言う私は、取材現場でこうした状況に出会うとカメラをおろしてしまう。つらくていたたまれなくて、ここで写真を撮ったらいけないんじゃないか、彼らのプライドを傷つけるんじゃないかと逃げる腰抜け野郎である。だから、オリンピックの現場で泣き顔にひるむことなく、ぐいぐいと寄って映像に収め伝える努力をするカメラマンたちを、心から尊敬しているんだよね。

2024825日号掲載)