連載
けんかっ早いけど人が好き vol.3
- 投稿日時
- 2021/06/23 17:18
- 更新日時
- 2024/08/19 13:21
大掃除とアイゼン
我が家の大掃除は、五月に行う。幼い頃は年末に行っていた。しかし、「新しい気持ちで新年を迎えるのよ」という母の言葉をどれだけ恨んだことかわからない。なんたって年末は寒い。どうしてこんな寒い季節に窓を全開にして掃除をしなければいけないのだ。大人になったある日、私は考えた。冬にやる必要はあるのだろうか。とはいえ、お盆休みでは暑すぎる。こうして、我が家の大掃除は気候のいいゴールデンウィークになった。
先月行った大掃除のテーマは軽量化である。不要なものを家から出し、車両総重量ならぬ家総重量を下げるというものだ。立てた数値目標は、二百個。捨てるでもあげるでも、とにかく二百個、家から出すのである。机まわりやタンスの中をちまちまとやったあと、押し入れの奥で数値目標達成に大きく貢献する金鉱を掘り当てた。長年、放置していた登山道具一式である。
今から23年前、私はなにを血迷ったのか欧州最高峰モンブランに登りたいと思い、友人の登山家カメラマン氏を師匠に迎えて訓練し、登頂を果たした。その達成感が忘れられず、またどこかに登ろうと企んでいたのだ。しかし、月日が流れるのはモンブランの頂上に吹いていた秒速30㍍の風並みに速く、結局、なにもせず今に至っていたのである。
箱をひっくり返すとぼろぼろになった靴やウェアがざくざくと出てきた。ゴミ袋にどかどかと入れる。感情をシャットアウトして機械的に作業を進めていくのだ。ところが、ある袋を開けたとき、私の手が止まった。アイゼンが出てきたのである。しかも錆ひとつない新品同様の姿で。
私は見惚れた。西穂高の凍った岩肌、八ヶ岳の氷の滝、モンブランの尾根を歩いたときの感触が一気によみがえる。
あの場所に、また行きたい。そんな思いすらわいてきた。いやいや、ちょっと待て。昔取った杵柄はすでに朽ち果て、今、そんなところに行ったら山岳救助隊のお世話になるだけだ。私は冷静さをとりもどし、アイゼンに深々と頭を下げた。「お世話になりました」。
アイゼンは、師匠に引き取ってもらうことになった。家の軽量化は進んだ。さっぱりしたのと同時に、私、歳とったなあと感じて、ちょっとだけしんみりしている。
岩貞るみこ(いわさだ・るみこ)
神奈川県横浜市出身。自動車評論のほか、児童ノンフィクション作家として活動。内閣府戦略的イノベーションプログラム自動運転推進委員会構成員