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けんかっ早いけど人が好き Vol.112 岩貞るみこ氏(自動車評論/作家)

投稿日時
2026/01/09 14:54
更新日時
2026/01/09 14:57

年賀状じまい

世の中は、年賀状じまいの動きが加速している。SNSが広まってから個人が出す年賀状は激減したけれど、このところ企業もとりやめ傾向だ。年賀状は新年を迎え、気持ち新たに挨拶するにはいいツールだけれど、仕事先への年賀状は挨拶の形骸化という気がしないでもない。

今年も、年賀状を送りました。

学生時代、年末の郵便局でバイトをしたことがある。私が受け持ったのは配達前の最終段階で、家ごとに設けられた棚に分けていく作業だ。年賀状は元日まで配れないからここに溜めていくのである。ほどんどの家は十センチ程度(うろ覚え)の棚で十分なのだが、一軒、とんでもない量の年賀状が寄せられる家があった。苗字を見ると政治家の先生のようだ。とにかく大量なので当然、棚ではおさまりきらず、布団が入ろうかという大きな籠に入れていくようにと指示された。そのとき思ったのはこの年賀状たち、読んでもらえるのかなということ。すでに形骸化は、私の学生時代(っていつ!)から始まっていたのである。

本を書くようになって「読まれない本は、ただの紙の束です!」と、担当編集者に厳しく言われている私は、心を込めて年賀状を書いても読んでもらえないのは、行為そのものが無駄になってしまうと感じて切ない。我が家に届く年賀状の中にも、ずっと昔に仕事で付き合いのあった会社からのものがまざっていて、だれだっけ? ということも少なからずある。私の記憶力のせいとはいえ、目の前の年賀状が不憫でならない。

だったら受け取らなくてすむように、私も年賀状じまいをしようかと思うのだが、できない理由がひとつある。十年以上前、中学時代の友人なんて、もう会うこともないだろうと送るのをやめたら、翌年、そのうちの一人から「年賀状くらいください!」と怒りの年賀状が届いたのである。「年賀状くらい」。この言葉は私の胸に刺さった。そう。彼女と私をつなぐのは、年に一度のこの年賀状だけなのだ。これさえ交わしていれば私たちはあの時代からずっとつながっていられるのである。

仕事関係はずいぶん整理させてもらった。だけど、何十年も会っていなくとも古い友人たちには年賀状を送り続けている。というわけで、今年もよろしくお願いいたします。

(日本物流新聞2026年1月10日号掲載)

岩貞るみこ(いわさだ・るみこ)

神奈川県横浜市出身。自動車評論のほか、児童ノンフィクション作家として活動。国際交通安全学会会員。最新刊に『こちら、沖縄美ら海水族館動物健康管理室。』(講談社)